ヨーロッパ文化の宝庫バルト三国の旅

エストニア、ラトビア、リトアニアのいわゆる「バルト三国」。
日本で知られているのは「1991年にソ連から独立回復した」という現代史の1エピソードくらいというのが現状だが、実は、3カ国とも首都は中世以来の街並みが美しく保たれていて、古き良きヨーロッパの建築と文化を見て回るには格好の地なのである。

取材協力 / エストニア観光局 ラトビア政府観光局 リトアニア政府観光局 フィンエアー

ラトビアの首都リガの旧市街、市庁舎広場。右のブラックヘッド会館は14世紀に商人のギルドが建造した建物で、第二次大戦時に爆撃で破壊されていたが1999年に再建された。

エストニア共和国(Estonia

-中世の風を感じるIT先進国-

1219年に建設された首都タリンは、フィンランド湾を挟んでヘルシンキから80数kmの距離。エストニアは民族的にも言葉の上でもフィンランドとの関係が深い国で、人々の行き来も盛んだ。近年はインターネットを通じた電子政府の取り組みやIT産業の拠点としても知られ、「バルト海のシリコンバレー」と呼ばれるようになっている。

基本情報 面積:4万5227k㎡(九州と同程度)
人口:約134万人 通貨:ユーロ
公用語:エストニア語

ラトビア共和国(Latvia

-音楽の盛んな「バルト海の真珠」-

ラトビアの首都リガも1225年に建設された歴史ある街で、人口約70万人とバルト三国で最大の都市。中世以来の多彩な建築物を残す一方で、独自の民族文化も色濃く残り、音楽を愛する国民性も特徴。5年に一度行われる「歌と踊りの祭典」が有名。また、今年3月には2014年から通貨にユーロを導入することをEUに申請したばかりだ。

基本情報 面積:6万4589k㎡(日本の約1/6)
人口:約203万人 通貨:ラッツ
公用語:ラトビア語

リトアニア共和国(Lithuania

-音森と湖が豊かな「十字架の国」-

3世紀からリトアニア大公国として発展し、15世紀には黒海まで広がる大きな領土を誇っていたリトアニア。人口の約80%がカトリック信徒の国で、首都ビリニュスにはカトリック教会が密集。戦前はユダヤ人も多く住んでおり、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人にビザを発給した杉原千畝副領事が勤務していたカウナスには記念館が残っている

基本情報 面積:6万5300k㎡(日本の約1/6)
人口:約325万人 通貨:リタス
公用語:リトアニア語

日本ではまだ認知度の低いバルト三国だが、この地域は古来、陸路ではドイツ、ポーランドからケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)を経てロシアのサンクトペテルブルクへとつながる街道上にあり、また海に目をやれば、東欧からバルト海を経て大西洋までつながる港としても栄えてきた歴史をもつ、いわば文明の交差点だ。
エストニア、ラトビア、リトアニア各国の首都は大きな戦禍を免れ、旧市街に中世以来の街並みを残していていることから「歴史地区」としてユネスコ世界遺産に登録されている。古き良きヨーロッパのエッセンスがコンパクトに凝縮されている首都と、美しい海・湖・森を同時に満喫できる観光地として、夏のバカンスシーズンにはヨーロッパ中からゲストが訪れているのだそうだ。
バルト三国はそれぞれ、独自の歴史と文化がある。エストニアの首都タリンは中世にハンザ同盟という商業都市圏の1つとして栄えた港町であると同時に、ドイツ騎士団や帝政ロシアの影響を受けた建築も多い。ラトビアの首都リガの名物といえば、旧市街区に隣接したアールヌーヴォー地区が挙げられる。カトリック色の強いリトアニアのビリニュス旧市街区には教会が密集していて「小さなローマ」と呼ばれるほどだ。また、郊外に行けば「マナーハウス」と呼ばれるかつての荘園(マナー)主の邸宅が宿泊施設として利用でき、スパなどリゾート施設が併設されていることも多いので、大自然に囲まれてのんびり過ごすのも一興といえるだろう。
日本からも存外に行きやすく、成田空港からフィンエアーでフィンランドのヘルシンキまで約10時間、ヘルシンキからエストニアの首都タリンまでは飛行機で30分もかからずに到着できる。バルト三国間はクルマか国際線のバスで移動でき、帰りはリトアニアのビリニュス空港からヘルシンキ経由で帰れば手軽。地方でも片言の英語でコミュニケーションできるのでご安心を。事前に歴史の知識を少し仕込んでおけば、より深く楽しめることだろう。