メルボルンに見る住宅建築様式

オーストラリアの南東に位置するメルボルンは、イギリスの統治下で発展した街。
住みやすい街としても有名であるが、建物としても見どころの多い土地でもある。本稿では彼の地の歴史をなぞりながら、その変化に富んだ住宅様式を紐解いていく。

オーストラリア人口第2の規模を誇る港湾都市、メルボルン。その体系が作られ始めたのは大英帝国の全盛期、ヴィクトリア女王が統治していた時代で19世紀前半のこと。オーストラリア全土を植民地化した大英帝国は着々と開拓を進め、1928年には現在のメルボルンに当たるエリアへの入植が始まった。初めは私的入植から始まった小さな街だったのだが、1850年代に入ると近くの町で金鉱が発見され、世界中から移民が殺到。ゴールドラッシュによる急激な人口増加に伴い、大英帝国の手によって現在のヴィクトリア州を治める植民地政府が発足したという。
 ヴィクトリア女王の在位は1837年から1901年までと長く、63年にも及んだのだが、その間にはヨーロッパで生まれた過去のデザインが見直され、かつてのデザイン様式を織り交ぜたリヴァイバル様式が盛んになった。ヴィクトリア朝時代は自由な建築が生まれた、デザイン史としては異色の時代でもある。特にカトリック教徒解放の煽りでカトリックの教会が各地で建てられたこともあり、時世としてゴシック・リヴァイヴァルを中心とした荘厳で美しい建造物が作られた。
 特にメルボルンはヴィクトリア朝の流れを大きく受けた地域。19世紀後半にはオーストラリア大陸で第1、大英帝国領内でも第2の規模の都市に成長ししていたので、教会や駅、美術館など、今も残る豪華な建造物が多く建設されることとなった。
 また、幸いにもメルボルンは世界大戦の戦火に見舞われることもなく、改修工事を重ねながら、今に残されている建物が多い。聞くところによると、彼の地は世界の旧英国領の中でも、ロンドンに次いでヴィクトリア朝の建築が残っている都市なのだという。

H&M
 もちろんメルボルンの中心地にはモダンな高層ビルも立ち並んでいるが(不動産景気が良く、今なお増加傾向にある)、公共の建物を中心にまだまだ旧い街並みが残されている。また、一般的にも旧い建物に店を構えること自体がプライオリティーとなっているようで、高級なファッションブティックが集中するエリアでも、ラグジュアリーブランドが挙 って歴史的な建物をリノベーシ ョンして利用していた。
 特に有名なのは一番の繁華街で営業しているH&Mで、彼らは か つ て 郵 便 局(General Post Office)だった歴史的建造物を利用して営業中。アイコニックな時計台はランドマークとなっており、メルボルンの人々の定番待ち合わせスポットでもある。
 こちらは1860年に建設が始まり、改築を重ねて1906年に現在の姿になった。意匠としてはルネサンス・リヴァイヴァル様式で、ファサードの1階部分はトスカーナ式、2階はイオニア式、3階はコリント式の柱を重ね、窓にペデ ィメントも飾られている。
 約5000㎡にも及ぶ広大な売り場は、H&Mが出店するにあたりインテリアや照明を一新。明るく洗練された空間に変わっているが、郵便局時代の部屋も残されているため、普通のファッションビルとは一味違っている。ここはすっかり観光スポットとなっており、買い物がてら写真を撮っている人も多い。