カナダ(トロント・バンフ)にみる歴史と建築 TORONTO
文化と人種が入り交るダイバーシティ。カナダ最大の都市で歴史散歩。
カナダ建国から約150年。その歴史は短いものの、それ以前はフランス・イギリスが礎を築いてきた。そのため今でも地域によって公用語や生活様式といった文化的な風土に違いがあり、土地独自の建築が見られるのが興味深い。本特集では大都会のトロントと、大自然のバンフ対局ともいえる二つのエリアの建築に焦点を当てた
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カナダの首都はオタワだが、同国における経済と文化の中心地はトロントである。日本の大都市の規模と比べるとダウンタウンはコンパクトにまとまっているものの、その分粒揃いな印象。雄大なオンタリオ湖沿いにレジ ャーエリアがあるかと思えば、近くに金融関係や大企業のビルが立ち並ぶ高層オフィス街があったり、同じ通りを進むとヒップな若者達が集うエリアにたどり着き、一本外れると並木の住宅街が現れたりする。つまりは通りごとに違う顔を見せてくれるのが特徴なのだ。
そんなトロントにおける観光名所としては、開業から32年間世界一高い建造物であり続けたCNタワーをはじめ、ポストモダン建築の美術館、ヴィクトリア朝の公共施設、数ある老舗劇場を巡るのが王道。しかし弊誌としては、古くからある住宅区域で見られる、トロント特有の建築様式に注目したい。次頁からは、現在の住宅を元に、代表的なものをご紹介する。
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1837-1867
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The Confederation Years
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1837年にヴィクトリア女王が即位してからカナダが独立するまでの間、トロントはカナダの代表的な移民の居住先となり、人口は30年の間に約9千人から6万人までに増加。市内の産業化が急速に進み、鉄道が開通し、船の利用とともに貿易の拠点としても栄えた。1850年代に一時は連合カナダの首都となり、社会的にも経済的にも発展。市内には教会の建造も続き、トロント大学も開校。街に下水道が整備されてガス灯が灯ったのもこの頃で、起業家や商人、政治家の邸宅も多く建てられた。
住宅建築は統治していた大英帝国で見られるデザインが踏襲されており、以前はジョージア朝建築の左右対称で直線的なモチーフが主流だったものの、この時代にはより装飾的なヴィクトリア朝らしいデザインが主流となった。都市部らしく長屋のようなテラスハウスも建設され始めた一方、富裕層が増えたことにより、より豪華なゴシック・リヴァイバル、ロマンティックなイタリアネート様式も見られるようになった。トロントの住宅で共通しているのは、どの家にもレンガが多く使われていること。オンタリオ湖周辺ではレンガに適した粘土質な土が取れたため、辺りでは煉瓦は安価に入手しやすかったのだ -
Italianate Style
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19世紀に栄えた都市では、政府や公共の建物は威厳を示すために、壮大な柱を構えたクラシック・リヴァイバル様式を用いる場合が一般的で、教会は対照的にゴシック・リヴァイバルで建てられることが多かった。一方で住宅に目を向けてみると、裕福な層を中心にこれまで見られたジョージアン様式やファームハウス、コテージだけでなく、多様な様式が見られるようになった。特にこの時期に急速に台頭したのが、イタリア風なヴィラ。南ヨーロッパの別荘に見られる古典主義の調和とバランスを模倣したスタイルで、最初のオンタリオ(トロントを含む州の名前)様式ともいわれている。
写真の一軒はウール関係のビジネスで成功を収めたエドワード・リードレイ邸。1876年建設と時期は少しずれるものの、代表的なイタリアネート様式かつヴィクトリア朝の煌びやかな建築の例であり、ゴシック、ロマネスクの雰囲気も取り入れている。プロポーションは縦長で優美。3階部分に設えられた望楼は同様式の特徴の一つで、通常は漆喰で仕上げる場合がほとんどだが、これはレンガ積みとなっている。 -
Gothic Revival
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19世紀初頭、小説家ウォルター・スコットの書いたアイヴァンホー、ロブ・ロイなどの歴史物の小説が人気となった。この時期、中世のものを取り入れた文学が流行したのと同様、ルネサンス期の建築を顧みたゴシック・リヴァイバル建築が台頭。住宅にも取り入れられるようになり、20世紀前半までの間、トロントで最も普及したスタイルとなった。
写真は1867年、実業家であったアーサー・マクマスターの自宅として建てられた「ユークリッド・ホール」。元々26の部屋と17個の暖炉が備わっている豪邸だったが、後に有名な建築家を数名雇って改修。元のゴシック・リヴァイバル様式のファサードを維持しながら、砲塔やベランダ、温室を付け加えた。現在はカナダのレストランチェーンKEGが所有しており、一般の方でもこの建物内で食事を楽しむことができる。
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Spadina House
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さまざまな様式の顔を持つ丘の上の大邸宅
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「スパダイナ」とは、アメリカおよびカナダの先住民オジブウェ族の言葉で「高台、もしくは突出する丘」の意味。スパダイナ・ハウスは、後述するお城のような大邸宅「カサ・ロマ」が建設される以前まで、トロントで最も豪華であったことで知られる邸宅。現在は19世紀後半の富裕層の生活を伝える貴重な資料として、建物自体がミュージアムとなっている。同邸宅は銀行および都市ガスの経営で財を成したジェームス・オースティンがこの土地を購入し、1866年に建設したヴィクトリア朝時代の三階建ての豪邸。 エクステリアにおける特徴は、対になった出窓、レンガと石で構成されたテラス、煙突、植物をテーマにした彫刻が施されたキーストーン、イタリアンなブラケットを採用したコーニスなど。
1913年にかけての度重なる改修によってスタイルは折衷様式となっているが、最終的には後期ヴィクトリアン様式とエドワード様式を合わせたセカンド・エンパイア建築として分類されるのが一般的なようだ。
屋内は14の部屋と6つの共有エリアに分かれており、ビリヤードルーム、庭園とテラスを見渡せる壮観な採光の良いパームルーム、ティールームなど、余裕を持った生活が部屋づくりに反映されていたことがわかる。インテリアのディティールを挙げると、中央ホールを貫く階段、高いベースボード、天井のメダリオン、石膏のクラウンモールディング、堅木張りの床などが印象に残る。展示されている調度品や家具は家主のオースティン家から寄贈されたものも多く、1860年代から1930年代までのリアルなモダンなスタイルが感じることができる。
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1867-1901
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High Victorian
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アメリカの南北戦争が終わり、カナダが独立した19世紀後期から女王が亡くなる1901年までの間、トロントの開発は目覚ましく進んだ。1871年から1891年の20年の間に、市内の工場の数は5倍にもなり、労働者人口は9500人から2万6000人以上に増加。主要な鉄道の多くもトロントに乗り入れるようになった。建物としてはゴシック・リヴァイバルの公共施設が多く作られた時代だが、この時期は様々な住宅スタイルが台頭してきたから面白い。
後期ヴィクトリア朝に支持された建築スタイルは、イタリアネート、ロマネスク、ゴシック、クラシカル・リヴァイバル、セカンド・エンパイア、ボザールアート、アーツアンドクラフツなどが挙げられる。ヴィクトリア朝のドレスにはレースやパフ、ベルバット、クリノリンスタイルで飾り付けたように、この時代の建築家たちは住宅のインテリアやエクステリアに彫刻やパターン、華美なアーチなど、華やかなデコレーションを加えている。ちなみに建材でいうと、南北戦争時代に軍需工場だったものが民間に流れて鉄筋が普及した時代でもあったが、トロントではまだまだ木材、石、レンガ、ガラスを組み合わせた、コンビネーションが美しい建築が主流だった。 -
Anex Style
トロント特有の「アネックススタイル」は、都市部の裕福な層が好んで建てたもので、レンガを使いながら、塔、ドーム、独特の装飾を施した折衷様式。前衛的なデザインを持っている。ダウンタウンの北側、アネックス地区で多く見られた。 -
Second Empire
ナポレオン3世が活躍したフランスのルネサンス時代、主にバロック様式の復興スタイル。カナダではモントリオールやケベックの街でも多く見られる。特徴はマンサードの屋根と正方形でどっしりとしたプロポーション、華美な装飾など。写真は建国の父の一人、政治家のジョージ・ブラウンの邸宅「ラムトンロッジ」。シンメトリーなデザインで、図案屋根やフード付きの窓、コーニスによる水平が強調されたデザインを持つ。南北戦争以来、このスタイルは富裕層の富を表し、それを誇示する都会的なスタイルとされていた。 -
Romanesque Revival
シカゴの建築家H.H.リチャードソンがトロントの旧市役所を手がけたことを機に、住宅でもロマネスク・リヴァイバルスタイルが花開いた。その特徴は半円アーチや分厚い壁、それに対して小さな窓を持つ点などが挙げられ、繊細で装飾的なヴィクトリア朝の流れとは逸した質実剛健な佇まいを持つ。ウィスキー蒸留所の社長であったジョージ・グッダーハム邸は、古代ローマから影響を受けた大きなアーチと、洞窟のように奥に引っ込んだエントランス、荒石とテラコッタのコンビネーション、男性的で重厚感のある外壁が特徴。 -
High Victorian Terrace
人口増加により住宅地が郊外へと広がると同時に、ダウンタウンに近いエリアでは、狭い区画の新しい長屋タイプの住宅が作られ始めた。写真は1878年に完成した6つのユニットが一つの建物として繋がっている、当時の労働者階級のために設計されたテラスハウス。丘の上に建つ大邸宅とは趣は違うものの、ヴィクトリア朝を代表する急勾配の切妻屋根と出窓を持ち、上品で華やかな雰囲気が感じられる。この手のテラスハウスは低価格でゴシック様式を取り入れられるということで流行。今でも街のあちこちに現存している。
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Casa Loma
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大富豪の夢であった城のような豪邸
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トロントの歴史上で最も豪華な邸宅である「カサ・ロマ」は、重厚なゴシックと壮大な城を思わせるシャトー・リヴァイバルを合わせたような様式を持ち、98部屋1万6700㎡以上の床面積を誇る。しかしこれは王族の城でなく、あくまでナイアガラの滝の水力発電の独占権を得て富を築いた、ヘンリー・ペラット卿の私邸だったというから面白い。彼は10代のときにヨーロッパを訪れて以来城に魅了されており、50歳を超えてから夢の豪邸を作らせたのだ。建設は1911年から3年かけて行われ、その費用は約350万カナダドル(現在の約7500万カナダドルに相当)にも上った。インテリアも贅を尽くしたものとなっており、ルイ16世スタイルの24金の彫刻も見られる豪華絢爛な応接室、100人以上をゆうに収容できるダイニング、オリエンタルな調度品を集めた寝室、ステンドグラスのドーム天井を持つ温室、秘密の通路や地下道……。ポイントは枚挙にいとまがないが、北米で初めて個人宅に電動エレベーターを導入したというエピソードは、電気で財を成した彼らしい。しかし、電力市場が公営になったことにより資金難に陥り、彼は10年足らずでカサ・ロマを売却することになったことは悲劇というほかない。建設から100年以上経った今も、カサ・ロマはトロント市内を見下ろす形で建っており、観光客スポットとして大富豪の生活を現在に伝えている。
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Iconic Toronto Houses
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19世紀から20世紀にかけてのトロントでは、イギリスとフランスを中心とした華麗なヨーロピアンなスタイルと、カジュアルなアメリカ文化が入り交じった。ここでは彼の地で建てられた個性的な住宅をいくつかご紹介しよう。
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Duch Gambrels
緩急の変化があるギャンブレル屋根を持つ様式。オランダの農場などでも見られる構造で、屋根裏を広く作れる利点がある。写真のものは1910年に建てられたもので漆喰の柱と屋根窓、二重吊り窓が特徴的。同じオランダ風でも、ジョージアンとイングリッシュ・コテージを元にしていたダッチ・コロニアル様式とは異なる雰囲気だ。 -
Single Style
アメリカ北西部の海岸沿いで人気だった、いわゆるサマーハウスに用いられたスタイル。納屋のような形状のギャンブレル屋根、木製の屋根板、バーンウッドの鱗壁などを用いた素朴な佇まいが主な特徴だが、こちらは窓やベランダにヴィクトリアンな装飾とレンガの鱗壁を持つ、トロントらしい個性派な一軒。 -
Queen Ann Revival
交差するルーフライン、小塔、出窓を備えた非対称のスタイル、フロアポーチ、パターン化されたシングルの装飾的なトリム……。エクステリアに金属が用いられることも増え始めた時期であり、アーツアンドクラフツの流れも相まって、リヴァイバル時のクイーンアンには、より装飾を強調したデザインが見られた。 -
English Cottage
石積みの基礎と木製のフレームのハーフティンバーを持つ、英国風のコテージスタイル。ハーフティンバーは通常ウッドと漆喰の組み合わせだが、こちらはヘリンボン柄にレンガを敷き詰めた、職人の技が光る一軒。切妻屋根はトロントらしいエッセンス。 -
Bay-n-Gable
ベイ・アンド・ゲーブルとは、トロントらしい半戸建のタウンハウス。昔の市内ではひと区画の幅が非常に狭く、背の高く奥行きのある形状の家が生まれた。基本的なデザインは、傾斜のある屋根と、家の奥まで光を取り入れるために家の正面に大きな窓だ。 -
Prairie
プレリーとは平原を意味し、正方形のコーニス、平らな屋根、深い軒を持つのが特徴で、過去を顧みない、北米オリジナルの様式。フランク・ロイド・ライトが開拓したデザインであり、量産化された古典的なスタイルへのアンチテーゼの意味もあった。
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牧歌的建築と大自然が楽しめるカナダで最も標高が高い街
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BANFF
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元々のコンセプトが滞在型のホテルだったこともあり、山に囲まれたコースでのゴルフをはじめ、テニス、ボーリング、ホースライディングなど、ホテル提供のレクリエーションや施設も充実。館内だけであらゆることが楽しめるのが同ホテルの魅力である。同様に本館内には数多くの飲食店やショッピングアーケードもあり、車で5分ほど離れたバンフのメインストリートに足を運ばずとも、快適に休暇を楽しむことが可能となっている。また、同ホテルには屋内と屋外で複数のプールがあり、まるでローマの公衆浴場のような内装のプールも圧巻。サルファー山を源泉とする、ミネラル分豊富な泉質のスパもあり、飽きることなく1日中ホテルの中で過ごせてしまう。
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1887年、カナダ初の国立公園に指定されたバンフ国立公園は、1880年代のカナディアン・パシフィック鉄道の開通とともにリゾート開発され、カナディアンロッキー観光の中心地となった。辺りには3000m級の雄大な山々、宝石のような色をした湖、1万年前から残る氷河もあり、1984年には、近隣の国立公園とともにユネスコ世界遺産に登録。夏はトレッキングや野生動物ウォッチング、キャンプなどのアウトドア・アクティビティ、冬はウィンタースポーツを目当てに、世界中から年間400万人の観光客がやってくる。
また、大自然も魅力だが、バンフの街も観光スポットとなっている。バンフは国立公園であるにも関わらず園内に街があり、ホテルやギフトショップ、レストラン、アウトドアショップなどなど、民間の商業施設がある。また、メインストリートの教会や消防署、商店、ホテルなどで、100年以上前の建物がいまだに使われていることも少なくなく、買い物がてらに歴史散策できるというのも魅力だ。
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山と森に溶け込んだ国定史跡の老舗ホテル
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Fairmont Banff Springs Hotel
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カナダの東部と西部を横断するようにつなぐ鉄道、カナディアン・パシフィック鉄道(CPR)がバンフに繋がり、バンフ観光の目玉として建設されたのが、バンフ・スプリングス・ホテルである。当時CPRの社長であったウィリアム・ヴァン・ホーンの構想は、鉄道に沿って豪華なホテルシリーズを立てる事で、バンフこそその最初のグランドホテルであった(鉄道ホテルシリーズは、現在フェアモント・ホテルズ・アンド・リゾーツとして展開されている)。設計は19世紀後半に活躍したニューヨーク出身の建築家ブルース・プライスによるもので、スコットランドの城をイメージしたスコティッシュ・バロニアル様式。100を超える客室を持った、当時としては珍しい滞在型リゾートとして注目された。
同ホテルは今日に至る130年の間に幾度も改修が行われており、総客室数を約750部屋に拡大。設備の充実、新装を計ることで常に時代の変化とともに成長を続けている。最も大きな工事が行われたのは1928年。1926年の火災により、木造だった本館の大部分が焼失したため、元の建物を拡張する形で再建したのだが、この際にゴシックとルネッサンスが合わさったような、中世ヨーロッパで生まれたシャトースタイルと呼ばれる様式を採用。現在のような壮大な石造りの姿となった。
ちなみにシャトースタイルは19世紀後半から花開いたカナダ独自のもので、鉄道ホテルシリーズで多く用いられた建築様式であることから、鉄道ゴシックスタイルとも呼ばれている。複雑な塔や急勾配の屋根、アシンメトリーなフォルムを特徴としており、バンフ・スプリング・ホテルはまさにその代名詞ともいえるものとなった。ランドル山、サルファー山といった岩肌の荒々しい名峰の麓に威風堂々と建つ同ホテルは、オープン以来バンフのランドマークとなっており、今も昔も訪れる人々に大きな印象を与え続けている。 -
マウンテンリゾートで過ごす贅 沢なひととき
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元々のコンセプトが滞在型のホテルだったこともあり、山に囲まれたコースでのゴルフをはじめ、テニス、ボーリング、ホースライディングなど、ホテル提供のレクリエーションや施設も充実。館内だけであらゆることが楽しめるのが同ホテルの魅力である。同様に本館内には数多くの飲食店やショッピングアーケードもあり、車で5分ほど離れたバンフのメインストリートに足を運ばずとも、快適に休暇を楽しむことが可能となっている。また、同ホテルには屋内と屋外で複数のプールがあり、まるでローマの公衆浴場のような内装のプールも圧巻。サルファー山を源泉とする、ミネラル分豊富な泉質のスパもあり、飽きることなく1日中ホテルの中で過ごせてしまう。
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正面玄関エントランスを抜けると、石造りのアーチや大理石の床、オーク材の針やパネル、ステンドグラスといった、シックで手の込んだインテリアが目に飛び込んでくる。エクステリア同様に、装飾や内装のディティールからもヨーロッパに端を発した折中スタイルが感じられ、ただ館内を散策しているだけでも飽きることがない。建物の規模が大きいため、逐一マップを確認していないと迷子になってしまうのがゲストの悩みの種だが、週末には建物内のガイドツアーも行われているのでご安心を。この際、普段は入室できないゴシック様式の結婚式場や、古城を思わせる内装のホール、リバービューラウンジも案内してくれるので、宿泊した際には是非参加したい。。
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