クラフツマン様式
CRAFTSMANアーツ・アンド・クラフツが生んだ、家族と生活のための新たな住宅様式

緩い勾配の切妻屋根による大屋根形式の住宅で、桁入り、大きなドーマーウインドーが片流れ屋根として取り入れられることが多い。玄関前のポーチが全正面に連続する単純で簡素な形が多く、連続のダブルハングウインドーが使われ、構造材がそのまま化粧に使われることが多い。

 19世紀末、英国でウィリアム・モリスが中心となって始まったアーツ・アンド・クラフツ運動は、産業革命における人間疎外から人間性を回復させることを目指し、複数のアート(美術)とクラフツ(手工芸)を一体に組み合わせた新しい芸術運動。これが大西洋を渡って米国に入り、カリフォルニアの建築家ギュスターブ・スティックレイが1901年発行の『クラフツマン』誌で紹介し、普及していったのがクラフツマン様式である。
 当時は産業革命と女性の社会進出により、社会と家族のあり方が急激に変化していた。その中で、家事や育児労働を簡単にして夫婦共同でそれを担うべきという考え方が生まれ、新しい生活様式に対応する住宅として登場したのが、家族全員が大きな切妻屋根の下で一緒に住むバンガロウ型式だった。このバンガロウ型式にアーツ・アンド・クラフツ運動のデザインが合体して生まれた住宅デザインが、クラフツマン様式の住宅となる。
 クラフツマン様式では、建材として使用する木や石の素材の美しさをデザインソースとして生かしたのが特色になる。木材が多く生産される西海岸で爆発的な人気を博し、20世紀初頭には圧倒的な量の住宅建築に利用された。
 日本でも橋口信助の「あめりか屋」が紹介し、大正デモクラシーとともに東京、大阪、名古屋、軽井沢などに、新しい住生活改善運動と日本最初の輸入住宅ブームをもたらすことになった。