先に述べたように、19世紀まで古代ギリシャの文明は神話の世界と混ざり合い、実在するとは思われていなかった。ギリシャは15世紀から19世紀まで400年近くもオスマン帝国の支配下にあり、西欧とは別の文化圏にうずもれていた。1870年、ドイツ人のハインリヒ・シュリーマンがトロイアの遺跡を発掘してギリシャ文化の実在を証明したというニュースが西欧世界を驚天動地させた。
ギリシャ文化の実在が確かめられると関心は一挙に高まり、ギリシャ研究が盛んになっていった。とりわけ、1776年に独立したばかりの民主主義国家、アメリカのギリシャへの傾倒は大きかった。それまでイギリスから伝えられていたルネサンス建築様式は、古代ローマ文化への回帰志向という流れだったが、アメリカの人々は、ローマよりももっと古い歴史をもつ古代ギリシャという全く新鮮な文化を、理想とする民主主義のデザインとして受け入れたのである。例えばフィラデルフィアにある第二合衆国銀行は、パルテノン神殿と同一の構造規模をもつ建築としてつくられた、グリーク・リバイバル様式の代表的な建築物である。
アメリカの中で最も古い時期から、経済的自由を求める人々の手で拓かれ、後背地に大農園をもつ都市がサウスカロライナ州チャールストンである。この町には古くから多くの人が定住し、イギリス植民地時代にも国王直轄領とされたほど経済活動が盛んだった。そのため大学、図書館、博物館など優れた文化施設とともに、優れた邸宅も多く建築され、サンフランシスコやニューオーリンズと並び全米3大人気都市として高い評価を受けてきた。
このチャールストンには驚くほど多くのグリーク・リバイバル様式の建築物が今も残っている。チャールストンは亜熱帯にあるため、通風と採光、眺望が重視され、南北に走る道路に面してファサードをもち、南側にピアザと呼ばれるダブルデッキのポーチをもつ住宅が圧倒的に多く、さまざまなデザインを見ることができる。