イタリアン・ルネサンスの建築様式は、地中海貿易によって富を蓄えたヴェニスやジェノヴァの商人たちが、当時ヨーロッパで支配的だったキリスト教会の建築デザイン、すなわちゴシック様式ではない美しいデザインを歴史に求めた結果、古代ローマの建築様式への回帰という道を見出した文化運動である。
紀元前1世紀の共和制ローマ時代に活躍した建築家、ヴィトルヴィウス(Vitruvius)が記した『建築十書』を学び、時代に合わせて再解釈した建築が取り組まれた。その実例を建築書として編集した本がアンドレア・パラディオ(Andrea Palladio, 1508~80)による『建築四書』(1570年刊。英訳は1720年刊)である。
『建築四書』は古代ローマの建築の復興とされながらも、実際にはパラディオ自身が独自に設計した数多くの図面を収録していた。システマティックに建築デザインのルールが記述されていて非常に利用しやすい本であったため、全ヨーロッパに広がり、その後の西欧建築の言わば「原典」として利用されることとなった。
パラディオの建築様式は古代ローマの古典的な様式に立ち返った、規則性、対称性、そして均衡のとれた比率(プロポーション)による建築ルールの体系である。実はこれらの原型はギリシャ建築のデザインであり、やがてローマ建築に伝承されたものなのだが、ルネサンス時代には古代ギリシャは神話上の存在とされていて、古代ローマが西欧文明の始まりと考えられていた。ギリシャの神殿建築における柱や化粧桁などのオーダー(構成比。詳しくは次ページをご覧いただきたい)を、古代ローマは各種折衷して取り入れていたのだが、すべてローマ建築の要素だと考えられていたのだった。
ルネサンス様式の合理的な建築ルールは、中世時代の経験的な建築様式を根本的に覆すものだった。やがてこの様式は中世の主要建築である寺院、宮殿、フランスのシャトー(邸宅)に応用され、さらに新しく荘園領主の邸宅、別荘や公共建築にも採用されていった。そしてこの様式がベースとなって、バロック、ロココ、ジョージアンなど多彩な様式が生まれていくのである。