プレイリー様式
PRAIRIEフランク・ロイド・ライトによるアメリカオリジナルの建築様式

緩い寄棟屋根に、水平線を強調するようにケースメント・ウィンドウが連続して並べられ、外壁には水平線を強調するような暗い色調の帯が設けられる。窓台、バルコニー、テラスなど水平方向の線を強調し、視覚的に対面する壁の同じ位置に窓を設け、視覚が遠方まで届くようなオープンな計画となっている。

プレイリー様式は、アメリカにおいて初めて、西洋の伝統建築デザイン以外の様式として、中西部で創造されたものである。当時支配的だった古典的なルネッサンス建築が形骸化しつつあった19世紀末、ドイツで古典様式からの分離を宣言したセゼッション(分離派)運動に呼応して生まれたアールヌーボー、アーツアンドクラフツ、グラスゴー派運動などと同様に、時代の前衛的デザインとして生まれたのがプレイリー様式なのである。
 「形態は機能に従う」と言って歴史建築様式を批判した機能主義の提唱者、ルイス・サリバンの下で、新しい土着の建築デザインを開発してきたフランク・ロイド・ライトが、1893年のシカゴ万博で日本の平等院鳳凰堂の2分の1モデルに強烈な印象を受けて、寝殿造のデザインを自らのものとして開発したのがこのプレイリー様式であるといわれる。
 アメリカ中西部に広がる大平原地帯(プレイリー)に根付き開発された土着的(インディジェネアス)なデザインとして、まさに米国で生まれたヨーロッパの伝統建築とは別の系譜のデザインであった。郊外地区に次々と建築されるようになった資産家の住宅のデザインとして、プレイリー様式は高い評価を受け、その後ライティアン様式と呼ばれるライトによる一連の建築様式は、戦後、クラシックとして不動の地位を確立することとなる。